
三線を始めたきっかけ
ブログを久しぶりに更新したら
私日記を書くのが好きなことに気がつきました。
たいしたことは書けませんが
【三線】好きな皆さんや、これから始めようかなと思われてる方に読んでいただけたら嬉しいです。
今日のテーマは三線をはじめたきっかけについて書きます。
私の両親は広島県出身で父の転勤で私が3歳の時に沖縄へ 私の産まれは宮城県仙台市です。
3歳から結婚をするまでは沖縄育ちでしたので
DNAは沖縄の血はありませんが、心はうちなーんちゅです♡といつもライブでは言っちゃいます。
学校も沖縄、友達も沖縄だったので完全に故郷は沖縄です。
小学4年生のころ、踊るバレエを習いたかった私は母親にバレエ習いたいといったんですが、バレエ教室が遠く両親共働きで送り迎えができないということであきらめていたときに、友達のさっちゃん(桃原咲月さん)が先に三線を習っていて当時はまだ今ほど子どもが琉球民謡を習う人はあんまりいなくてさっちゃんが、まりこー稽古場に子どもいないから一緒に習ってーと誘われました。
その時私は、両親が広島県出身なので
さんしんのさのじも知らなければ方言が家庭内ではまったく喋れる人がいなかったので、さんしんときいてもぴんとこなかったのを覚えています。
さっちゃんが
先生の名前はうえずゆうこう先生だよと
教えてくれて、私は聞き間違えてうえずゆうこ先生と思い勝手に優しい女の先生をイメージしていました。
まずは体験にとさっちゃんに連れられてお稽古場に行ったら、まさかの男の先生 笑。
私の心の中
あれっあれれ??
男の先生だ!ちょっと怖そう
←子どもながらに素直な感想 由孝先生ごめんなさい。本当はとーっても愛あふれる弟子思いの優しい先生です。
まずは三線持って弾いてみなさいと先生に言われるがままに弾いて、当時は工工四はみれず、先生の手を見て真似しなさいというお教えで、必死に真似して指を動かしていました。
夜のお稽古時間でしたので
まわりは大人のかたばかり。当時かなりの人見知りだった私は優しくまわりのみなさんに声をかけられてもうん!と首をふるだけで精一杯でした。
由孝先生は、当時から
沖縄の方言の意味を知らないとうたはうたえないと
どの曲もひとつひとつ丁寧に歌詞の意味を教えてくださいました。今でも由孝先生が、その曲の背景をわかりやすく、色んな例え話で話して説明してくださるのがとても勉強になります。
上江洲由孝民謡研究所に入門したのが
1992年でしたのであっという間に月日は流れ
今年11月で31年になります。
埼玉にきてからはなかなかお稽古に通えていませんが、帰省した際にはなるべく行くようにしています。先生がいつでもきなさいと言ってくださるのがありがたいです
私が沖縄を離れても三線をつづける理由
1番は大好きな民謡師匠上江洲由孝先生、古典師匠 故 西平好夫先生に育てていただいた御恩があり、私が三線を続けて三線教室をがんばることで、少しですが恩返しにつながるかなと思い頑張っています。もちろんうた三線、琉球芸能が大好きです
また現在は古典のほうでは毎月沖縄からはるばる野村流伝統音楽協会現会長の玉城利和先生がお稽古をみにきてくださっています。
師匠方々に恵まれているありがたさを感じながら
これから先も沖縄の心、肝心ちむぐくるを大切にこつこつと頑張っていきたい思いです

首里城 こども大会の時

私を三線の世界に導いてくれた親友さっちゃんと

あれからあっという間の月日がたちました
私日記を書くのが好きなことに気がつきました。
たいしたことは書けませんが
【三線】好きな皆さんや、これから始めようかなと思われてる方に読んでいただけたら嬉しいです。
今日のテーマは三線をはじめたきっかけについて書きます。
私の両親は広島県出身で父の転勤で私が3歳の時に沖縄へ 私の産まれは宮城県仙台市です。
3歳から結婚をするまでは沖縄育ちでしたので
DNAは沖縄の血はありませんが、心はうちなーんちゅです♡といつもライブでは言っちゃいます。
学校も沖縄、友達も沖縄だったので完全に故郷は沖縄です。
小学4年生のころ、踊るバレエを習いたかった私は母親にバレエ習いたいといったんですが、バレエ教室が遠く両親共働きで送り迎えができないということであきらめていたときに、友達のさっちゃん(桃原咲月さん)が先に三線を習っていて当時はまだ今ほど子どもが琉球民謡を習う人はあんまりいなくてさっちゃんが、まりこー稽古場に子どもいないから一緒に習ってーと誘われました。
その時私は、両親が広島県出身なので
さんしんのさのじも知らなければ方言が家庭内ではまったく喋れる人がいなかったので、さんしんときいてもぴんとこなかったのを覚えています。
さっちゃんが
先生の名前はうえずゆうこう先生だよと
教えてくれて、私は聞き間違えてうえずゆうこ先生と思い勝手に優しい女の先生をイメージしていました。
まずは体験にとさっちゃんに連れられてお稽古場に行ったら、まさかの男の先生 笑。
私の心の中
あれっあれれ??
男の先生だ!ちょっと怖そう
まずは三線持って弾いてみなさいと先生に言われるがままに弾いて、当時は工工四はみれず、先生の手を見て真似しなさいというお教えで、必死に真似して指を動かしていました。
夜のお稽古時間でしたので
まわりは大人のかたばかり。当時かなりの人見知りだった私は優しくまわりのみなさんに声をかけられてもうん!と首をふるだけで精一杯でした。
由孝先生は、当時から
沖縄の方言の意味を知らないとうたはうたえないと
どの曲もひとつひとつ丁寧に歌詞の意味を教えてくださいました。今でも由孝先生が、その曲の背景をわかりやすく、色んな例え話で話して説明してくださるのがとても勉強になります。
上江洲由孝民謡研究所に入門したのが
1992年でしたのであっという間に月日は流れ
今年11月で31年になります。
埼玉にきてからはなかなかお稽古に通えていませんが、帰省した際にはなるべく行くようにしています。先生がいつでもきなさいと言ってくださるのがありがたいです
私が沖縄を離れても三線をつづける理由
1番は大好きな民謡師匠上江洲由孝先生、古典師匠 故 西平好夫先生に育てていただいた御恩があり、私が三線を続けて三線教室をがんばることで、少しですが恩返しにつながるかなと思い頑張っています。もちろんうた三線、琉球芸能が大好きです
また現在は古典のほうでは毎月沖縄からはるばる野村流伝統音楽協会現会長の玉城利和先生がお稽古をみにきてくださっています。
師匠方々に恵まれているありがたさを感じながら
これから先も沖縄の心、肝心ちむぐくるを大切にこつこつと頑張っていきたい思いです

首里城 こども大会の時

私を三線の世界に導いてくれた親友さっちゃんと

あれからあっという間の月日がたちました
Posted by
☆岩島真理子☆
at
2023年10月12日
20:15
Comments( 2 )
Comments( 2 )
この記事へのコメント
ブログを読ませて頂きました。
人とのご縁は不思議なものですね
三線を通じて岩島先生と出合えたことに感謝します
時間はかかってしまうと思いますが三線頑張ります❗
人とのご縁は不思議なものですね
三線を通じて岩島先生と出合えたことに感謝します
時間はかかってしまうと思いますが三線頑張ります❗
Posted by ただかずこ at 2023年10月17日 08:57
多田さんコメントありがとうございます私こそ多田さんご夫婦に出会えて、遠くから通ってくださり感謝の気持ちでいっぱいです。三線で楽しいこといっぱいできると嬉しいです。
Posted by 多田様 at 2023年10月19日 19:36
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